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火炎土器の故郷を旅して

 投稿者:東京支部長  投稿日:2018年10月30日(火)22時46分1秒
  10月17日~19日に、火炎土器の故郷、新潟県を旅して、火炎土器誕生の秘密を探って来ました。
今時点で、振り返ってみると、
 ①火炎土器は、縄文中期の新潟の一地方(信濃川流域)に、約五百年に渡って出現した。
 ②縄文時代でありながら、縄文の模様はなく、隆帯や沈線で描かれる。
 ③火炎土器の特徴は、口縁部が大きく立体的に発達し、深鉢の閉まり具合と比較し、アンバランスな程である。
 ④用途は、あくまでも、煮炊き用の実用土器である。黒こげが土器内にあり、吹き零れが、口縁部に、こびり付く
 ⑤火炎土器は、鶏頭冠突起を持つ、狭義の火炎土器と、波状の口縁部の王冠土器に分かれる。
 ⑥同時期の東北、北陸、長野等に、それぞれ火炎土器の部分に似た形状の土器が現われるところから、成立
  事情が伺われる。但し、その後無くなってしまい、通常の縄文土器に戻った。不思議である。
写真は、火炎土器と、私が考える、火炎土器の前段階の土器と、火炎土器の一部の王冠土器。(河)
 
 

232回例会

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 9月28日(金)09時24分50秒
  各位

現在の気象情報では、週末に台風24号が関西へ来るのほぼ確実なので、232回例会は中止したいと思います。今年はほんとに台風のせいで例会が中止になりますが、恨めしいものです。柳谷さんには申し訳ないですが、またの機会に淳和天皇陵登りましょう。御了承ください。

なお、10月例会は17-19日の新潟の旅で、河原、大隈、橋爪、筑前が参加しますが、公式にはこれが232回例会となります。10月末に例会を行いたい方がもしおられれば、企画してください。淳和天皇陵リターンマッチとか。実施されれば233回例会にしたいと思います。私はその日(28日)、東京へ日帰りで行く公算が大きいので参加できませんが。

宜しくお願いします。
筑前

 

先日

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 9月28日(金)01時59分27秒
  コマツさんの娘さんがTV出演されてました。皆さんへの通知を忘れていましたが、
10/2(火曜日)23:45から再放送されます。NHKーBS、「偉人たちの健康診断」
とい番組で、江戸川乱歩の特集です。娘さんは「江戸川乱歩」の研究者で大学教授です。

FACEBOOKではさんざん話題になってましたので、皆さんてっきり知っているものと勘違い
してました。FBやってるのは、靖さんと橋爪君だけだったですね(河内さんもか?)。


 

232回例会

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 9月22日(土)16時19分19秒
  案内は以下にあります。

http://www.inoues.net/club11/232jyunna.html

http://inoues.net/family/uzubekistan/uzubekistan.html

 

232回例会

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 9月22日(土)15時31分17秒
  大阪本町・歴史倶楽部 第232回例会を以下の要領で」実施します。奮ってご参加ください。

京都市右京区大原野南春日町 「淳和天皇陵を訪ねて」

日時 : 平成30年9月30日(日曜日)

集合 : 阪急電車「東向日」駅 AM8:50

     9時12分のバスに乗りますので、誰か遅れたら1時間待つことになります。

行程 : 往路:阪急電車 梅田~東向日 370円

     阪急バス 阪急東向日~南春日町 280円

復路:阪急バス 灰方~阪急東向日 250円

      阪急電車 東向日~梅田 370円

持参品: 弁当、水筒、その他

服装 : 長袖が望ましい。夏場は過ぎたので少ないとは思いますが

     アブ、ブヨのたぐいが多いとありますので、虫除けもあれ

     ばGOODかも。

その他周辺情報:

南春日町バス停あたりは特に商店・コンビニはなし。自動販売機が何

個かある。東向日までバスで帰ると飲食店などがある。道が少し険し

いが特に危険個所はなし。しかし、かって山域でクマの目撃情報あり。
麓のバス停から山頂までは、約1時間半~2時間ほどです。また途中

名刹等によっていくかもしれません。

また、キリンビール京都工場(向日町)は既に移転、サントリー京都

ビール工場 は、9月30日、全コース予約満杯で見学不可。

従って、どこかで適当に反省会 とします。参加・不参加表示を早めに

mailでお願いします。なお、詳細は今日中にHPの例会案内(第232回)

にいれておきます。参加希望者は、印刷してお持ちください。

筑前


http://inoues.net/family/uzubekistan/uzubekistan.html

 

(無題)

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 7月30日(月)21時43分58秒
  一年前に行ったウズベキスタンのHPをようやくUPしました。めちゃくちゃ重たいですが、良かったら見てください。スマホやI-PADでは文字が化けるかもしれません。有線のDesktopPCが一番早く表示できるようです。動画はpcによっては2,3分から5分ほどかかります。

http://inoues.net/family/uzubekistan/uzubekistan.html

 

日教組

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 7月13日(金)12時25分55秒
  日本は教育を正さなければならない。卑屈で矮小な日教組という組織が、戦後日本人を情けない民族にしようとしている。その影響は社会のあらゆる面に発露し、若者は年長者を敬わず、若い親は我が子を殺し、看護師が大量殺人をおかす。もはや、教師そのものが卑猥な職業になりつつある。教育学部卒の4割が「先生なんかアホらしい」と言うような時代に、我々は果たして教育を取り戻すことができるのか?



『野々村直通(開星高校前野球部監督・教育評論家)

 昨今の教育現場での「いじめ現象」に接するたびに日本人の資質が変質しているという感が否めない。そこには、おぞましい残虐性と卑劣さが窺えるからである。もはや「イジメ」などという言葉では表せない。これらは正に凶悪犯罪である。許しがたい悪業と言わざるを得ない。
 そもそも日本人が近代において持続してきた精神性は「武士道」に起因する。武士道には「勇猛さ」や「潔さ」に加え、実はその根底で最も重要な「徳」として唱えられているのは「卑怯であってはならない」ことと「寛容である」ことの二点に帰結する。
 今の子どもたちは聴くこともないであろうが、我々の幼少期には「昔噺(むかしばな)し」というものがあった。テレビもネットもない時代に、紙芝居や家族を通じてその物語りに触れた。その物語りは「勧善懲悪」であり、その退治された悪人(鬼)も、改心し反省すれば味方(子分)にするという寛容さがあった。『桃太郎』がその代表作であるのだが、絵本の中の鬼は悪行を働くときは正に鬼の形相だが、懲らしめられた後の子分として追従するときの顔はやたら柔和で仏の顔の如く変身している絵を見て妙に納得して安堵したことを思い出す。
 こうした物語りに接するたびに子ども心に寛容(許す)ということを身につけていくのだ。敵対しているときは力の差でもって相手を懲らしめ(イジメ)るが、どこかの時点で許し、その後は味方として自分の懐に入れて面倒をみるという寛大さを学ぶのだ。
 西洋のチェスと違って日本の将棋は、敵の駒を奪ったらその後、自軍の戦力として生き返させるというルールがある。これが日本の「寛容の文化」である。
 昔のガキ大将は、ケンカやイジメもしたが、負けて泣いている者や、謝っている者には、もうそれ以上は殴らないという暗黙のルールがあったように思う。「武士道」の寛容さは「昔噺し」を通して生きていたのである。
 幼少の頃、物理的に大人には敵わないと自覚する時期があった。どうあがいても肉体的「力」関係において子どもは敵わない。実は、このときが人格形成をする上で大人の責任としての最大の教育的チャンスである。
 大人と子供、男性と女性、教師と生徒など、この世に存在しながら、尚かつ必要にして十分条件を満たす事柄としての差異。これを正しく自覚することが、世の中や社会のことを身をもって感知していくことなのである。
この力関係を正しく理解できた子どもは、相手を死に追いやるほどのイジメはしない。新潟の小学校で福島から避難して来た児童がイジメにあっていた。周りの児童たちに「弱者は守る」という優しさが決定的に欠けている。そして、驚くことに担任がその児童に「菌」をつけて呼んでいたという。
 俄かには信じがたい事象である。これはもう、教師の資質の崩壊である。長く教職にいた者として言わせてもらえば、この児童の転校時に、児童が置かれている状況を危機的と捉え、真剣な「誠」でもって級友に語り継げば放射能に関する偏見やイジメなど絶対に起きないと強く断言する。学力一辺倒で世の中を生き、人間の機微や感性を忘却してしまった教師が大量にその採用試験を潜り抜けている。事なかれ主義の教師が蠢(うごめ)いている
 日本でもある時期、「規制緩和」が叫ばれた。競争原理を活発化させるには必要な方策であったのかもしれない。しかし、結果として「緩和」による事件、事故が後を絶たないという負の一面も表面化した。ましてや教育界は、競争、強制をしないという価値観の現況において子どもたちは、叱られない、叩かれない、規則や規範もなく、義務や責任も持たさず、自由や個性や人権の美名のもとに「わがまま」が罷(まか)り通ってきた。

 戦後の日教組教育に蹂躝(じゅうりん)された「武士道的徳育」は遥か彼方へと喪失してしまった。「卑怯」であることが最大の「恥」であった武士道は廃(すた)ってしまった。会津藩は「什(じゅう)の掟」でもって子どもたちを厳しく律してきた。
 その中に「弱い者をいじめてはなりませぬ」とある。人としての道を「掟」として規正したのだ。
 「日本のこころ」を忘れた教育が横行し、公(利他)に尽くすことの喜びも学ぶことなく、自分中心の価値観で生きる「わがままな子」に育てられる彼らこそ戦後教育の一番の犠牲者である。すべては教育の歪みから正していかねばならないことを強く叫びたい。
 大人よ! 教師よ! 幼少期には、悪を懲らしめ、善を推奨する物語りを語れ! 人として、卑怯であることを疎み、「力」は弱者を救済することのみに全うされることの「道義」を教え込め!

 いじめ問題の解決は、日本の「こころの教育」を正すことに他ならないのである。』

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昨日は

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 7月 5日(木)03時18分22秒
編集済
  全邪馬連関西支部の会員である「伴としこ」さんというおばさんが地元の丹後半島(京丹後市)で講演をするというので、数人で応援に行ってきました。伴さんは、本ももう10冊以上は上梓していて、久美浜の「安野光雅美術館」の副館長もしており、地元では名士です。「5世紀の丹後半島」というなかなか面白い講演でした。

地方の歴史はその地域で生活されている人たちが、誇りと自信をもって研究するのが一番だと思います。中央の学者先生たちは、特に関西の考古学者たちは、最近全く当てになりません。正しい歴史の眼を持つには、自分で納得いくまでコツコツ調べるしかないなと、最近強く感じます。

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大阪北部地震

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 6月21日(木)17時45分8秒
  3日間で、一応居間の一部とWIFEの部屋(ここは私はUNTOUCHABLE)を除いて整理できました。ただ、膨大な書類は来週まで捨てられないので、玄関に積んだままです。保管しておいて長年読んでいないDOCUMENTがいかに多かった事か。現役時代、PAPERLESSのオフィスで働いていたというのに、何も学んでいなかったのかもしれない。本が捨てられないというのは、活字世代の悲しい性(さが)かも?

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年代論

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 6月 7日(木)06時23分5秒
  [最近は邪馬台国畿内説が優位にあると思っているのですが?]

というご意見に答えて、

「まともに古代史を勉強した人なら、畿内説はあり得ないと理解できるはずです。近畿圏の考古学者の言うことはそのまま聞いてはいけません。」



「安本氏の考察もそうだが、最近近畿圏の考古学者の年代観は、信頼性において非常に疑義を生じている。関東地方や、一部九州地方の学者たちからは「関西ではもう考古学は死んだ」とか、「まるで学問の体をなしていない」と酷評されているのだ。「近畿圏の考古学者の言うことは当てにならない」と思っているのは、私のような邪馬台国=九州説の人たちばかりではない。邪馬台国=奈良説の学者たちの間でも、「関西では考古学はその学問性において崖っぷちに立っている」(東海大学北條教授)と危惧されているのである。
私見では、そう言われるのは関西では考古学が邪馬台国を中心に回っているからであり、「邪馬台国=奈良」を大前提にすべての発掘、すべての論文が評価されている観があるからだろう。もちろん関西でも、あまりに古く古墳の年代がさかのぼる事に異議を唱えている学者もいるが、彼ら少数派は学会でも関西考古学ムラでも冷遇され、なかば村八分のような状態に置かれている。
ちゃんとした大学の、ちゃんとした歴史関係学科をでて、一応社会常識はありそうに見える関西の学者たちが、こと邪馬台国となると、常軌を逸した発言や行動をとる。そしてそれを指摘されても意に介さないどころか、糾弾した機関や論者を非難し、文献との齟齬を指摘する声には「文献上の問題はシナの人間が書いたことであるから気にしなくて良い」とか「魏志倭人伝など信用できない」などという訳のわからない発言をするのである。魏志倭人伝を信用できなければ、そもそも邪馬台国論なども成立しない。

卑弥呼が生きていたのは明らかに弥生時代であり、弥生時代の近畿圏は銅鐸社会である。その影響は出雲や淡路島や東海地方にまで及んでいる。この社会は古墳時代とは明らかに一線を画しており、古墳時代の人々の社会とは隔絶しているように見える。もし大和が卑弥呼の時代に西日本を統一していたとするならば、古墳にどうして銅鐸が現れないのだろうか。奈良から糸島の一大卒をコントロールするほどの権威が既に確立していたのなら、銅鐸民族も当然支配していたはずである、古墳時代の社会にそれが反映しているはずではないか。また、弥生時代の奈良には鉄も絹もないと言う指摘には、関西の考古学者は前述のように「魏志倭人伝は信用できない」と逃げてしまう。箸墓古墳が3世紀の築造で、卑弥呼と同時代の遺跡だとするならば、関西であれだけ出土している銅鐸が一つくらい出てきてもよさそうものではないか。15万とも20万とも言われる我が国の古墳において、銅鐸が古墳から出土した例はひとつもないのである。古墳は古墳時代のもので、決して弥生時代の遺跡ではない。

九州の邪馬台国と同時代に、近畿では銅鐸を信奉する文化、民族がいて、彼らは纏向遺跡に住み、唐古鍵に住み、池上曽根に住み、滋賀に兵庫に山城にも住んで、銅鐸を信奉し、関西ネットワークを作り上げていたと理解した方が、弥生・古墳時代を中心とした古代社会の状況はすんなりと解明できる。弥生時代の終末期に、騎馬文化を持った新しい集団がどこからか日本列島に出現し、九州にあった邪馬台国を滅ぼし、あるいは邪馬台国と融合し、東を目指して近畿地方へやってきた。そして約 150年に及ぶ「大王」たちの戦いが続き、やがて奈良盆地に大和朝廷の萌芽を築きあげた。その過程で近畿圏の銅鐸社会は排斥され、銅鐸は廃棄物とともに、あるいは壊されて、あるいは完形のまま、山中や河川に廃棄されたのである。

近畿圏の考古学者たちは、一度邪馬台国や卑弥呼を離れて、そもそも日本には邪馬台国などなかったのだという観点にたって、銅鐸社会や近畿圏の弥生時代や古墳時代について考え直して見ると良い。その研究成果をこそ、我々歴史マニアが待ち望んでいるものなのである。」

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第230回例会

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 6月 6日(水)03時46分49秒
  大和古墳群巡りを歴史倶楽部HPにアップしました。暇に任せてごらんください。

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すみません。

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 5月18日(金)13時34分39秒
  しばらく作業が立て込んでいて、掲示板を久しぶりに見ました。申し訳ないです。

「邪馬台国の全解決・・中国正史がすべてを解いていた」(孫 栄健著、言視舎)と言う本
は私も知っていますが、呼んだことはありません。中国人のちょさはですから、日本人とは
違った視点があるかもしれないですね。確か本屋で見たとおもいますが、もう内容は覚えて
いません。赤い表紙の本だったような気が。



 

参加したかったなー。

 投稿者:東京支部長  投稿日:2018年 5月 9日(水)11時16分23秒
  楽しそうですね。その会から10日経ちましたが、言われているような方向に、進んでますね。南が北に取り込まれて、日本が中国、朝鮮、ロシアと対峙する地政学的立場になったら、どうしよう・・・ですね。
野党が今こそ、自らのビジョンを示す時です。

ところで、今日の本題は、「邪馬台国の全解決・・中国正史がすべてを解いていた」(孫 栄健著、言視舎)と言う本の広告をみましたが、どうですかね?読む価値はありますか?
 

230回例会

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月30日(月)12時50分5秒
  昨日の例会の反省会は、JR奈良駅の地下にある魚民で4時から。いろいろと話題は出たのだけれど、やっぱり北朝鮮問題に話題が集中。喧々諤々、最終的に以下のような見解でまとまった。

1.北朝鮮は純粋に「韓半島平和統一、非核化」を指向しているのか? => 否
  ・今までの例を見ても、「平和平和」と急に言い出した
   のはあやしい。習近平に会いに行った直後ではないか。
  ・兄貴や一族を殺してしまう男が、牧歌的に「平和・非
   核化」などと言い出すわけがない。絶対腹に一物ある。
  ・見抜けない韓国の文政権はお人好しもいいところと言
   う評価になるだろう。

2.習近平と何を話し合ったか?
  ・北朝鮮は、核施設を完全に解体する。何なら解体作業
   をアメリカにやらせてもよい。
  ・有事の際には、中国の核で全面的に北朝鮮を守る。
  ・それを条件に、韓国からアメリカ軍を完全に撤退させる。
  ・半島統一の証として、南北韓民融合を図り、韓国に北
   朝鮮民族を移住させる。その逆も可。
  ・北朝鮮軍、韓国軍も融合を図り、合同演習などを南北両軍で行う。
   その時の仮想敵国は日本である。
  ・上記を、20~30年かけて実施してゆく
  ・最終的には、中国の庇護の元、南北を統一しロシア風
   統治へ移行する。
  ・ほぼ50年かかれば計画完治するだろう。いざとなれ
   ば、第三次世界大戦も辞さない。

3.その間アメリカが放っておくか?
  ・トランプの任期は長くてもあと6年である。その間彼
   の気に入るように施策を進め、節々で2.の実施を試
   行する。

4.そういう思惑はアメリカも把握・想定しているのか?
  ・CIAあたりは想定しているだろう。しかし証拠はな
   いし、推移を見るしかあるまい。

5.日本の政治家はどうか?
  ・安倍政権は想定しているかもしれない。おそらくトラ
   ンプと疑似行動を話し合っているだろう。

6.日本の野党はどうか?
  ・彼らは基本的に馬鹿である。こういう事を想定・思考
   している政治家は皆無である。モリカケばかりが政治
   であると、脳を腐らせている。
  ・国家百年の大系など、野党議員や赤マスコミにはとう
   てい思考不可能であろう。
  ・おそろしくて、野党に政権など渡す日本人はもうおる
   まい。

7.北海道。対馬問題
  ・そのうち突如として、北海道に「ひがし北京市」や、対馬に
  「南釜山市」などが出現するかもしれない.法整備を早急に図
   るべきだが、国会はモリカケに明け暮れ、良識派議員の発言
   の場が無い。むしろ野党は、そういう議題を避けるためモリ
   カケに注力しているようにも見える。

8.もし前段の想定通りに事が運んだ場合、次の奴らのターゲットは日本で
  ある。日本が「中華人民共和国日本県」になった時、野党や赤マスコミ
  はおそらく次のような言葉を吐いて、己を呪うであろう。

  ・「こんなはずじゃなかった」

以上、酒席における「ちょうせん国粋無譚」でした。さぁ、米朝会談、日朝会談がどうなるか?
 

230回例会の

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月26日(木)01時02分43秒
  参加者は現在、河内さん、杉本さん、橋爪さん、橋本さん、西本さん、松田さん、筑前の7人です。

 

230回例会

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月25日(水)02時36分16秒
  大阪本町・歴史倶楽部 第230回例会  ~大和王権発祥の地を探る~
平成30年4月29日AM11:00 JR桜井線長柄駅集合  雨具・弁当・水筒ほか持参の事
<コース> 長柄駅ーマバカ古墳ー西山塚古墳-西殿塚古墳ー中山大塚古墳ー下池山古墳-フサギ塚古墳ー大和神社ー長柄駅(5.8km 約3時間)
●大和古墳群
大和古墳群(やまとこふんぐん)は、奈良県天理市南部の萱生町から中山町に所在する古墳群。一部が国の史跡に指定されている。最大の古墳は西殿塚古墳になる。奈良盆地の東南の山麓に沿って、南から纏向古墳群、柳本古墳群、大和古墳群の3つの古墳群が、初瀬川右岸をおよそ南北に縦に並んで存在している。「オオヤマト古墳群」は、このような最も広い意味で用いられる呼称である。大和古墳群は、古墳時代前期前半に営まれたものと考えられる。
この古墳群を大和古墳群と呼ぶのは、古墳群の西辺に 大和神社が鎮座することによる。群中には、 前方後円墳 12基、 前方後方墳 5基、 円墳 7基の存在が知られている。これらの古墳は、丘陵上の一群を中山支群、扇状地上の一群を萱生(かよう)支群とに分けることができる。したがって「中山古墳群」「萱生古墳群」の呼称もしばしば用いられる。大和古墳群では古墳間の規模にあまり差がなく、主墳と陪墳という関係ではない。南にある柳本古墳群は主墳と陪墳の傾向が強く、纏向古墳群は主墳と陪墳の関係で構成されている。なお、陪墳といっても強制の殉死を意味するわけではない。大和古墳群中最大の前方後円墳である西殿塚古墳(墳丘長234m)は、柳本古墳群の行燈山古墳(現崇神天皇陵、241m)や渋谷向山古墳(現景行天皇陵、310m)に先行して築造された可能性が高い。王墓と推定される巨大古墳は、古墳時代前期後半には奈良盆地の西北部へ移動している。佐紀盾列古墳群と呼ばれる古墳群がそれである。2014年(平成26年)10月6日、古墳群のうちノムギ古墳・下池山古墳・中山大塚古墳の古墳域を包括して「大和古墳群」として国の史跡に指定された。
<主な古墳>
大和古墳群中最大の規模を有し、「大王墓クラス」とみられているのが上述の西殿塚古墳である。現在、手白香皇女陵に治定されており、宮内庁が管理している。なお、治定が決定したのは1876年( 明治9年)のことであり、 手白香皇女(継体天皇皇后)は6世紀前半から中ごろにかけての女性である。しかし古墳の推定年代は3世紀後半から4世紀前半にかけての時期であり、初期のヤマト王権の王墓と考えられている。西殿塚古墳の近傍には全長175mに達する東殿塚古墳がある。西殿塚古墳とともに萱生古墳支群に属し、4世紀初頭の造営と考えられる。それ以外には、100mから140m級の7基の前方後円墳、および3基の前方後方墳がある。
1986年に吉備政権の要素の濃い特殊器台の破片が発見されたことによって、古墳発生期までさかのぼる可能性の指摘された中山大塚古墳(120m)があり、1993年には後円部に竪穴式石室が造営されていたことが分かった。この石室には、主として輝石安山岩(サヌカイト)と推定される板石が用いられている。上述の手白香皇女の真墓でないかとみなされているのが、本古墳群に属する西山塚古墳である。古墳時代前期の古墳が多い本古墳群のなかで、西山塚古墳のみが6世紀前半ころの造営によるものである。
 

ごぶさたです。

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月25日(水)02時32分20秒
  第228回例会、~羽曳野市の旧石器遺跡から大阪市立自然史博物館へ~ と
第229回例会、~奈良坂散歩~

を歴史倶楽部HP二追加しました。これでやっと追いついた。230回例会は奈良の大和古墳群です。
皆様ふるって後参加ください。

 

午後以降は、大丈夫です。

 投稿者:東京支部長  投稿日:2018年 4月23日(月)22時06分6秒
  朝は、特養への慰問があり、昼からは、どこへでも出掛けます。楽しみにしています。  

河原さん、

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月22日(日)19時54分43秒
  6月に江戸へ下る事になりました。つきましては、6月18日(月曜日)に
江戸で飲めますでしょうか?
 

大人しく大川巡りですね

 投稿者:東京支部長  投稿日:2018年 4月22日(日)11時59分45秒
  知っている景色、知らない景色いろいろです。フェスティバルホールが、大きな二つのビルに、生まれ変わったのですね。よく大阪検察庁のビルがTVに出るけれど、関電のビルと似てるけれど、違いますよね。
最近大阪と言うと、帝国ホテルで食べたローストビーフと、梅田時代に、昼食に通ったハンバーグ屋さんを、思い出します。未だに、この二つ以上の味はないと思います。次回を楽しみに。
店の名前は分かりませんか。福島方面で、環状線の内側で、大きな道沿いの、洋食専門店。
当方のもみじの紅葉は、春の紅葉(新芽)でした。
 

LAST大川めぐり

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月 9日(月)14時25分47秒
  最後の一枚。FACEbookだと、これ全部いっぺんにUPLOADできるんですけどねぇ。掲示板の限界ですね。
あと道頓堀川を巡っている賑やか動画もあるのですが、掲示板では大きすぎてUPできないようです。

 

大川めぐり

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月 9日(月)14時19分56秒
編集済
  第十弾!

 

大川めぐり

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月 9日(月)14時19分13秒
  第九弾!

 

大川めぐり

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月 9日(月)14時17分57秒
  第八弾!

 

大川めぐり

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月 9日(月)14時16分36秒
  第七弾!

 

大川めぐり

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月 9日(月)14時15分11秒
  第六弾!!

 

大川めぐり

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月 9日(月)14時13分32秒
  第五弾!

 

大川めぐり

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月 9日(月)14時12分23秒
  第四弾!

 

大川めぐり

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月 9日(月)14時11分9秒
  第三弾!

 

大川めぐり

 投稿者:筑前  投稿日:2018年 4月 9日(月)14時10分6秒
  第二弾!

 

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