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躾(他ブログから)

 投稿者:  投稿日:2019年 5月22日(水)21時26分27秒
返信・引用
  いかにして人は人物となるか。幼少の育て方。

いかにして人物となるか
  出典:伊與田覺著『いかにして人物となるか』致知出版社

習慣というものは、何遍も、何遍も、鳥が羽ばたきを稽古するように重ねて行って、それが無意識に行なわれるようになったときに、「習慣化された」というのです。

この習慣のことを、日本では「躾(しつけ)」と呼びました。この字は「漢字」ではありません。

「身」と「美」という二つの漢字を日本で合わせてつくった「国字」です。

習慣化することを日本では「躾ける」と言います。
裁縫(さいほう)のときに、折り曲げた布がもとに戻らないように仮縫いしておく糸を「しつけ糸」と呼びますが、それと同じでもとに返らないようにする…これが躾けです。
要するに「躾」とは、押しつけ、強制です。
現代のように、押しつけは子供の人権を無視することだとして、ほったらかしにしておくと、躾(習慣化)はできません。
かつて日本を訪れた西洋人は「日本人は、決して裕福な生活をしているわけではないが、礼儀作法が非常に立派な国である」と口を揃えて褒めました。
日本の戦後教育は「強制は、子供の人権を無視するものだ」として、先生方が、一歩も二歩も下がってしまいました。
皆さんはご存知でしょうか?
戦後の一時期、小学校では体操の時間に号令がかけられない時代があったのです。
「前へ進め」といったら命令になる。「右向け、右」といったら強制だとされたのです。
「躾」には、やはり苦痛を伴います。
人間は日常的に苦よりも楽を選びますから、なかなか自律的に行なうことは難しい。
途中で挫折することが極めて多いのです。
そこで、外から教えてやることが大切になってきます。
つまり強制です。
その強制が一番効くのが素直な心を持った子供時代です。
成長し素直さがなくなってきたら強制などできません。
良い習慣というものは子供時代に強制しなければなかなか身につかないのです。
人間学には「小学」「大学」「中学」の三学があります。
その中でも、「小学」は、この良い習慣というものを非常に大切にしています。
「小学」の冒頭にはこの書を編んだ朱子が、本書の主旨を次のように記し、掃除・挨拶・作法の重要性を説いています。
すなわち、人を教えるのに、洒掃(さいそう・清掃)、応対、進退の大事なところ、そして親を愛し、目上の者を敬い、師を尊び、友に親しむ、そういう道を教えることが、自分の身を修め、家を斉え、国を治め、天下を平らかにするもととなる、と。
 より行き過ぎた体罰をともなったような躾(しつけ)は論外として、掃除や挨拶、応対などの作法を子供に躾けることは絶対に必要だ。
例えば…ファミレスで、騒いだり、通路を走り回る子供。クツをはいたまま、平気で電車の座席に立つ子供。あるいは、飲食店で子供が食事をこぼしたり食器をちらかしても、平気でそのまま帰ってしまう親。
子供の躾ができていないのは、ほぼ全てが親の責任と言っていい。
学校でいくら躾されたとしても、家でそれが徹底されなければすぐに元に戻ってしまう。
昨今は、自由という言葉はもてはやされるが、強制という言葉は嫌われる。
しかし、躾は強制以外は身につかない。
子供によい習慣を身につけるための、押しつけや強制からはじまる。
 
 

新年

 投稿者:豊田  投稿日:2019年 1月 1日(火)08時04分12秒
返信・引用
  明けましておめでとうございます。

何時も
歯がゆい成長見守って頂いてありがとうございます

今年も宜しくお願いします。
 

謹賀新年

 投稿者:  投稿日:2019年 1月 1日(火)00時31分24秒
返信・引用
  明けましておめでとうございます。

本年も皆さまが幸多き年になる事を願っております。

本年もどうぞ宜しくお願いします。
 

他ブログコピー

 投稿者:  投稿日:2018年12月21日(金)21時29分58秒
返信・引用
  ユダヤ人の知恵・タルムード

  2000年も前からユダヤ人は、 日本人の子供なら読み書きを始める幼少のころから猛烈に右脳を鍛える。 日本では、 今では、小学校で子供に読み書きさえも厳しく教え込まれないようだ。 家庭に至っては、言わんがおや、 親が人生の哲学、人としてのあるべきことどころか、 読み書きさえも教えない家庭さえあるという。 戦後、戦前の教育から日本が捨て去った生活規範の教育、 大切なものを取り戻すことは急務だと思う。
   ユダヤ人は世界人口の0.25%だがノーベル賞受賞者700人のうちユダヤ人はなんと20%を占めている。(日本人は世界人口の2%で受賞者は0.2%) また古くはキリストやマルクス、ハイネ、アインシュタイン、オッペンハイマー、チャプリン、近年ではキッシンジャー、スピルバーグなどの優れた人材を多数輩出してきた。なぜユダヤ人はこのように独創的で優秀なのか。実はユダヤ人の生活規範「タルムード」の教えに、その秘密が隠されている。それは次の様なものだ。

1)笑いなさい、
2)他人とは違うものを発見せよ、
3)権威を憎み、権威になるべからず、
4)逆境こそチャンスと考えよ、
5)カネより時間を大切にせよ、
6)まずは元手がいらないことから始める、
7)相手の話は自分の話の2倍聞け、
8)生涯にわたって学び続けよ
9)カネは奪われるが知識は奪われない、
10)知識より知恵を重視せよ。
  「異教徒の迫害を受けても金は盗られるが教育は生きている限り誰も奪えない」と考えている。 子供の頃からこんな躾がされているユダヤ人が優秀なのはナットクだ。
 日本も「知識偏重や学歴、権威主義ではない、人を育てるのに何が重要か」と本質に迫る生活規範教育を復権するべきだ。  タルムードとは全30巻からなるユダヤ学の生きる規範の総合体系全集。  以下が含まれている。律法集、歴史書、格言集、言行録、民話伝承集、民族学集、博物学事典、百科事典、医療学書、哲学書、文学全集。
   わけわからぬ宗教ではない。 家に帰ったら手を必ず洗うことから、こういう逸話も学ぶわけだ。

  /////////////

自信を失うという事は、自分に対して盗みを働く様なモノである。
真の対立とは、優れた者が競い合って、そしてお互いに切磋琢磨していく事であり、これは社会の進歩にとって、欠く事の出来ないファクターである。
人を傷つけるモノが三つある。悩み、いさかい、空の財布だ。その内、空の財布が最も人を傷つける。
世の中には度を越すと行けないモノが八つある。
旅行、性、富、仕事、酒、睡眠、薬、香料だ。
柔軟な木は折れないが、硬直した木は折れる。
豚は食べ過ぎる。苦しんでいる人間は話しすぎる。
賢い者は、自分が何を話しているのか知っており、愚かな者は、自分の知っている事を話す。
金は、よいセンス意外のモノなら何でも買える。
粉屋が煙突掃除屋と喧嘩をすると。粉屋は黒くなり、煙突掃除屋は白くなる。
かゆいところをかく事と、困ったときに金を借りる事は、一時しのぎに過ぎない。
幸運から不幸までの道のりは短く、不幸から幸運までの道のりは長い。
自分より賢い者に負ける方が、自分より愚かな者に勝つよりも得だ。
三つのモノは隠す事が出来ない。恋、咳、貧しさ。
金は道具である。道具に支配される者はいない。だから道具はできるだけ多く持っていた方がいい。
誰でも鏡の中に、最も好きな人を見る。
貴方の親友が、貴方にとって蜂蜜のように甘くても、全部なめてしまってはいけない。
友が怒っている時に、なだめようとするな。悲しんでいる時に、慰めるな。
評判は最善の紹介状であり、表情は最悪の密告者だ。
嫉妬は千の目を持っているが、一つも正しく見えない。
結婚へは歩け、離婚へは走れ。
富は要塞であり、貧苦は廃虚である。
出逢った人全てから、何かを学ぶ事が出来る人が世界中で一番賢い。
無恥と自負は兄弟である。
多くの者は考えたくないので、逃れるために本を読む。
自分の言葉を、自分が渡る橋だと思いなさい。しっかりとした橋でなければ、貴方は渡らないでしょうから。
ゴシップは必ず三人の人間を殺す。言い触らす人。反対せずに聞く人。話題になっている人。
酒が頭に入ると、秘密が押し出される。
最も大切な事は研究ではなく、実行である。
お世辞は猫の様に人をなめるが、やがてひっかかれる。
男は両頬の間と両足の間で評判が決まる。
人間は、他人のささやかな皮膚病は気にしても、自分の重病は目にはいらない。
嘘つきに与えられた最大の罰は、彼が真実を語った時も、人が信じないことだ。
人間は、20年かかって覚えたことを、2年で忘れることができる。
人は3つの名前を持つ。 両親が生まれた時につけてくれた名前。 友達が親愛の情を込めて呼ぶ名前。そして、 自分の生涯が終わるまでに獲得する名前である。
要領のいい人間と賢い人間の差 要領のいい人間は、賢い人間だったら絶対におちいらないような困難な状況を、うまく切る抜ける人のことである。
ある人は若くして老い、ある人は老いても若い。
自分の欠点ばかり気にしてる人は、人の欠点に気づかない。
 

うーん、だよね。

 投稿者:  投稿日:2018年11月16日(金)23時35分10秒
返信・引用
  なぜそんなに立派に育ったのか?
OBのお母さんに聞きました。
「娘が中学の時の大会の朝、起きないと間に合わないのに起きてこない。その時、『自分の試合のために自分で起きる』ことを知るために起こさず、試合出場はかないませんでした。ですがその後、彼女は自分の時間の管理を自分でコントロールできるようになりました」
「息子が中学の試合会場に送る際、携帯ゲームをしていました。会場に着いたとき、『お客さん、5000円いただきます』『えっ』『あなたの態度は試合に送ってくれている家族へのそれじゃないわね。お金払って乗ったタクシーの運転手へのそれです』とやさしく諭しました。こんなことがあって『自分の夢に協力する家族への感謝』を身に着け競技への姿勢も本気なものになっていきました」
「下記の文書は一例ですが、『自分のこと言われている』と思いつつ、『何よ』と一回は反発してみて(笑)、そして深夜に深酒飲まないと受け止められないことが常ではありましたが(笑)子供をまともに育てたい思いの大切な参考になりました」
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵

【子育て立志編】自立の時を間違えるな

尊い愛が「成長」の桎梏になる時もある。
母の愛情ほど尊いものはない。
絶望の時、世界が自分を見捨てても、じっと自分を見ているやさしいものがそれだ。
自分がどうなっても命を賭しても守ろうとする最も動物的でさえあるものだ。
こんなありがたいものはない。 自分も子どももその愛に支えられ大人になった。*①
だが 大人へなるべく挑戦する時、愛の表現方法を変えねば、その尊さは堕落の凶器にもなる。
それもまま見せられてきた。
厳しい練習の時、少しでも愛する子の休息をとの思いが、彼の選手や大人になる当然な仕事を奪う。
たとえば、汗を流した物の洗濯、手入れ。
たとえば、必須な自分で起きる事。
たとえば、自分の食器を洗い元のポジションに据えること。
たとえば、自分の生活空間にかかわるところの掃除。
ここまでは、戦う選手になる前の、挑戦への心構え。
「大人になる彼らを育てる」ところに視点をすえれば結果を正しく導くことは難しくない。
彼らの苦労を軽減することが彼の挑戦の力だと思っていることが、 逆に彼らの心を成長不全にしていることだ。
目標にふさわしく子供が変わる時期には、愛の形は変わる。
人はギリギリの苦労を通してのみ成長する。
たとえば自分のプロになる夢のために、だれより全精力でサッカーに向き合うこと。
それを自分で判断し、早く寝て、栄養をとり、頭が腐るほど考え、自分を奮い立たせる。
それらは人としての自分の意思が幼稚な自分を駆逐する以外にない。
親離れとは「自分が選んだ夢」への人としての覚悟することだ。
朝起こされてはじめて起きる人間が、 果たしてまともな選手、まともな人間になれるのかなど言うもがなだ。
動物には巣立ちがある。
子供時代が他と比べ最も長く与えられた人間には時々にふさわしい賢明な子育てが求められる。
青年の未来を憂うのは、 親の行為が彼らを正しく導けない時。
起こされなかったら「起こしていただいている親を怒る」
車に乗っても「車に乗せていただき夢の協力している母を感謝の言葉もなく、社長付き運転手のように扱う」
ご飯のときも「めしは栄養のバランスがとれて自分の好みのものが出来ていて当然」
汚れて帰って来た寒き夜は「風呂はいつでも湧いていて真っ先に入れてあたりまえ」
ストレス発散したい時は「遊ぶ金も必要な時に嘘言ってももらうのはアリ」
「稼ぎもないのにブランド物の財布や高価な携帯等、他人が持っているから持ってもいい。だってあいつが持っているから」
「親から送られてきた高価な食糧が部屋の外に捨ててある様」
「そんな部屋には人さまの部屋なのに壁に穴あけても心が痛まない。だってストレスあるんだもの」
そんな勘違い挑戦者だ。
私は3人の子供を育てる際、「いたしかたなく」学校や部活に車で乗せていくときには、 助手席でメールしたり居眠りすることを絶対に許さなかった。
なぜなら、自分のために献身して時間割いて運転してくれる親にそれはすごく失礼なことで、 人さまへの感謝の出発が親への敬意を示すことだと思ったからだ。
それはおかしな事ではなく、父としては、ごくごく当然の問題だ。
おかしいと思う感性のほうが狂っている。
生き方を正すのが父親の多くない存在意義の一つだ。
母ではないので、母はまた少し違う表現をするのだろうが(笑)。
こういう景色も見た。
一流選手が捻挫して家に帰り「悪いけど母さんナイロン袋あるかな」と言って氷を板状にし、 アイシングする姿を見る。
その隣の家では三流選手が「捻挫したから早くコールドスプレーを買ってこいよ」と母親に命令する姿。
それは見事なコントラストだった。
その後の彼らは想像する通りだ。
彼らはみな本来、前者になるべきだ。
言えばすぐ要求された通りの豪華なスパイクを買い与える親と、 親の感謝の上に丁寧にスパイクを使う選手の対比もよくある話。
「愛情の桎梏」は「他の親より深いわよなる親の愛情」で「彼の苦労を軽減したい」思いが、 彼らの挑戦の時の成長に「不可欠な苦労」をもとりはらい、 彼らを常識知らずの幼稚な大人にしてしまうこと、 社会に不適用な人間にしてしまうことだ。
だれのために今自分は努力するのか。
ようはそこへの彼らの自覚の目覚めが大きな差を生んでいる。
親子で手取りあって努力するという名で、 親の思いと努力が前面に出るのは小学年代で終了していなければならないはずだ。
だから父性が力を発揮しなければならない。
父は正義でなければ子育てはできない。
挑戦者になれと子供に説教できるためには。
妻に尊敬されない親父が子どもに心響く話などすることは望めない。
幼稚な子供と母親みたいな父親の会話は「ヘンテコ」に決まっている。
だからこそ父親は尊敬に値する生き様をしないといけない。
子に目標にされないと価値がない。
これが父親独自の仕事なはずだ。
本当はここが一番大切なのだが、それはまた違うところで書くことにする。*②
「自覚」によって行動することが育成年代の選手の成長の「キーワード」なのは明らかだ。
井田監督が勧める高校時の集団生活は、 まさにそこを培い大人になるための必要なものを与えてくれるものだからだ。
子供が私のすべてだという母の愛情が、 その本意である子どもが「スポーツ通じ、自分の子供が自分を越えて尊敬される大人」への力となるには、 その一歩引いた賢い愛情表現と彼の先を見据えた思慮深さがなにより求められる。
ただし、男の成長過程は、男の性の独特なもので、 母自身は実感や想像すらもできないことを、賢い母はまた熟知している必要がある。
ここは大切なところだ。
母はなかなか父にはなれない。
父が母になれないのと同様に。
これを一言で 「変な愛情与えるよりは、突き放すのが一番だ」 といっただけなのに(笑)… その前提が母と言うものがわかっていないと娘に論破された(笑)
*****************
*① 十三歳の時だった。
少年は知多半島の少年院にいた。
もういっぱしの「札付き」だった。
ある日、少年に奇蹟の面会者が現れた。
泣いて少年に柩の中の母を見せようとした あの家政婦のオバサンだった。
オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。
死の床で母はオバサンに言ったのだ。
「私は間もなく死にます。 あの子は母親を失うのです。
幼い子が母と別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるからです。
憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。
あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、
死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。
そのほうがあの子は幸せになれるのです」
少年は話を聞いて呆然とした。
自分はこんなに愛されていたのか。
涙がとめどもなくこぼれ落ちた。
札付きが立ち直ったのはそれからである。
作家・西村滋さんの少年期の話である。
これは大人になる最終段階の高校年代の話だということだ。
*****************
*② 父の愛は自分の尊敬に値する生き方と背中のカッコよさが求められる
-聖書解説より
…略…
子供はその成長の過程で、母の愛から父の愛へと移されていかねばなりません。
なぜなら母の愛だけでは、社会的に生きていくことができなからです。
特に男の子は、母の愛から父の愛へと移されることによって、「男性として生きる。」ことを学ばされます。
自立した男として、夫として、父親として、どのように生きるか、そのモデルは父親にあるのです。
もちろん、さらに成長すれば「父親の欠点」に気付き、失望したり、反発したり、批判したりするようになります。
…略…
人生の初めの時期に、母親の豊かな愛によって育まれた「私は生きる価値のある存在なのだ。」という確信が、 起伏に富んだ人生の土台となって
…略…
父の姿は大人になった男にとって常にライバルになるのです。
恥ずかしい生き方は見せれないのです。
…略…
 

ですね!

 投稿者:  投稿日:2018年10月28日(日)20時37分21秒
返信・引用
  少年のサッカー指導者の一番大切な能力は何か知っているか。
「サッカーに取り組む姿勢」をつくる能力なんだ。
そして、少年期に徹底してとんでもなくボール扱いの自由を獲得すること。
それ以外に仕事なんかあるのかい?
中学になって高校になって
そこから、とんでもない技術つけることと同様に、
サッカーに真摯に立ち向かい物事に真面目に取り組む姿勢をつくることはなかなか難しい。
少年期の過ごし方や練習で決まってくる。
その時の出会いは、子どもに選択権はない。
日本にはいろいろな誘惑があって逃げ道があって、
妥協しても生きるのに困らないところだからね。
「自分への妥協」イコール「ダメ人間の烙印、生活の貧窮」とはならないから。
「まってろ。おれがやるから」と動く奴がいる。
信念ある人間も「変人」のカテゴリーに括られそうな日本。
俗物には子どもは育てられない。

2017.10.09
 

とあるご家庭のお話

 投稿者:  投稿日:2018年10月28日(日)19時43分37秒
返信・引用
  少年と母親は助け合い、貧しいながらも

楽しく暮らしていた。

少年が小学5年生の時にクラスでお小遣いの

話題が出ました。

?

ある子供が言いました。

「 僕ね、お手伝いをしたらお小遣いが貰える

だ。この間もプラモデル買っちゃったんだ。」

?

少年は思いました。

「 そうか! 僕も毎日お手伝いしてるから、

お小遣いをもらおう!! 」

?

少年は家に帰り母親に、

【 請求書 】

お風呂の掃除: 300えん

洗濯: 300えん

部屋の掃除: 300えん

合計: 900えん

と書いた紙を渡しました。

?

母親は暫く黙った後、尋ねました。

「 何に使うの?」

少年は答えました。

「 みんなが貰ってるから欲しくなったの 」

母親は悲しい目をしながら言いました。

「 ゴメンね。うちには、お小遣いをあげる

余裕はないんだよ 」

少年は反論します。

「 なんで?ボクはちゃんとお手伝いしてあ

げてるじゃない!」

母親は悲しみをこらえながら言いました。

「 してあげてるって気持ちで今まで手伝って

くれてたのかい?

お母さんとあんたは支えあって来たんじゃないのか? 」

少年は納得できずに家を飛び出しました。

「 ボクは働いたのになんでお小遣いがもらえないんだ!」

少年はしばらく近くの公園で、

何故自分がこんな不幸な目に合うのかを考えていました。

しかし周囲はすっかり暗くなり、

少年は心細くなって家に帰ることにしました。

罰が悪そうに家に戻ってきた少年に母親はいつも通り、

夕飯の準備をしながら「おかえり」と言ってくれました

?

しかし夕食時も二人の間のは気まずさが残り、

会話はありませんでした。

?

少年は「 ごちそうさま 」と一言だけ言って自分の部屋に

行きました。

?

自分の部屋に入り、部屋の明かりを着けたとき、

ふと机の上に、何かが載っているのに気がつきました。

?

「 なんだろう?」

?

そこには、100円玉が9枚置かれていたのです。

そして隣には手紙が添えられていました。

?

【 請求書 】

夕食: 0えん

熱が出たときの看病: 0えん

忘れ物を届ける: 0えん

合計: 0えん

?

と書いてありました。

?

お母さんが今まで自分にしてきてくれた事が

一気に頭中に溢れてきました。

?

そして紙の最後に、こう書いてありました。

「 これだけしかあげれなくてゴメンね。」

少年は初めて支えあうことの意味を知りました。

?

次の日母親が起きると食卓の上に手紙が置かれて

いました。

?

【 お母さんへのお小遣い 】

そこには、昨日の100円玉 9枚 が置かれていました。

?
 

本当の感謝

 投稿者:  投稿日:2018年 9月21日(金)20時20分58秒
返信・引用
  「入社試験」

ある会社のお話しです。

その会社の社長は、次のようなことに気づかれたそうです。

ノウハウや制度ばかりを追求しても、
社員の心が豊かにならないと、組織は活性化しない。

「本当の感謝とは何か?」

を社員に実体験させてこそ、お客様に心から感謝できる社員が育つ。

このことに気づいた社長は、毎年の入社試験の最後に、
学生に次の二つの質問をするようになったそうです。

まず、

「あなたはお母さんの肩たたきをしたことがありますか?」

ほとんどの学生は、「はい」と答えるそうです。

次に

「あなたは、お母さんの足を洗ってあげたことはありますか?」

これには、ほとんどの学生が「いいえ」と答えるそうです。

「では三日間差し上げますので、
 その間に、お母さんの足を洗って報告に来てください。

 それで入社試験は終わりです」


学生達は、そんなことで入社できるのなら、
とほくそ笑みながら会社を後にするそうです。

ところが、母親に言い出すことが、なかなかできないのです。

ある学生は、二日間、母親の後をついてまわり、
母親から「おまえ、気が狂ったのか?」と聞かれました。

息子「いや、あのー、お母さんの足を洗いたいんだけど。」

母親「なんだい?気持ち悪いねー」

こうしてその学生は、ようやく母親を縁側に連れて行き、
たらいに水を汲み入れました。

そして、お母さんの足を洗おうとして、
お母さんの足を持ち上げた瞬間・・・・

母親の足の裏が、あまりにも荒れ放題に荒れて、
ひび割れているのを掌で感じて、絶句してしまいました。

その学生は心の中で、

「うちはお父さんが早いうちに死んでしまって、
 お母さんが死に物ぐるいで働いて、
 自分と兄貴を養ってくれた。

 この荒れた足は、自分達のために働き続けてくれた足だ」

と悟り、胸が一杯になりました。

そして「お母さん、長生きしてくれよな」と、
ひとこと言うのが精一杯でした。

それまで、息子の「柄にもない親孝行」を
ひやかしていた母親は、「ありがとう」と言ったまま
黙り込んでしまいました。

そして、息子の手に落ちてくるものがありました。

母親の涙でした。

学生は、母親の顔を見上げることができなくなって、
「お母さん、ありがとう」と言って、
自分の部屋に引きこもったそうです。

そして翌日、会社に報告に行きました。

学生「社長、私はこんなに素晴らしい教育を受けたのは
   初めてです。ありがとうございました」

社長「君は一人で大人になったんじゃない。

   お父さんやお母さんや、
   いろいろな人に支えられて大人になったんだ。

   そして、これからはな、
   自分一人の力で一人前になるのではないんだ。

   私も、お客様や従業員や、
   いろいろな人達との出会いの中で、
   一人前の社会人にならせていただいたんだよ」
 

虎の穴 コピー

 投稿者:  投稿日:2018年 6月26日(火)21時01分25秒
返信・引用
  失敗する子と成功する子
IDA SOCCER NIGHT SCIENCE 父と母の役割

 私が静学のサッカー部の監督になったのは、昭和46年のことで、当時の部員は15人でした。それから40年以上が経ち、今では静学でサッカーに挑戦しようとする子どもたちが全国から集まるようになっています。今年も100名ほどの一年生が入部しました。
 この新一年生のお父さん、お母さんに向けて毎年話すことがあります。それは、残念ながら失敗する子もいるということです。長らくサッカーの指導を通していろんな子どもたち、そして親たちを見てきてわかるのですが、失敗する子にはいくつかの共通点があります。以下は、新一年生のお父さん、お母さんに語ったことから抜粋したものです。

一、言われたことしかしない子
 監督の言うとおり素直にやる。でも、それしかしない。そういう選手はだいたい失敗します。昔の言葉で「出る杭は打たれる」とか「能ある鷹は爪を隠す」というのがありますが、それではいけません。
 「出る杭はもっと出たほうがいい」「脳ある鷹は爪をもっと出したほうがいい」。これは本田もカズも同じことを言っています。
「試合になったら監督の言っていること以上のことやんなくちゃダメだ」
「言われた通りのことを素直にやる選手はいっぱいいる。それでは評価されない」
 まさにそうなのです。日本のクラブでは、言われたことを従順にやる選手がいい選手だと思われているけど、個性や自分の才能をもっと出すことが大事なんです。堂々と自分の個性を出す、そんな勇気を持った選手になってもらいたいものです。

二、楽する子
 楽してうまくなろうという選手は大成しません。世の中、そんなに甘くはない。もう、泣いて苦しんで、這いつくばって努力して、やっとレギュラーになれるんです。なったらなったで、さらに努力して上を目指す。はっきり言い切れるのは「楽してうまくなった選手は一人もいない」ということです。これ覚えておいて欲しい。そして覚悟しておいて欲しい。

三、失敗を人のせいにする子
 ミスを人のせいにする選手はダメです。努力した人は、そういうことは絶対に言わない。努力する人は、失敗を自分のせいにする。自分のミスなんだから、もっと努力するしかない。そういう心境にまで達しないと、いい選手にはなれません。

四、すぐあきらめる子
 今まで言ってきたことにも関わるけど、すぐあきらめちゃう子もダメです。言われたことだけは適当にちょっとやって、ダメだと人のせいにし、努力を怠っては、悪いのは学校だ、監督だ、環境だ、あげくの果ては親が悪いと言う奴までいます。恩を一番感じるべき親が悪いと言ってあきらめちゃっては、いい選手にはなれません。

五、ふてくされる子
 最近よく感じることで、五つ目に付け加えたいのがふてくされる子です。指導者や先輩、仲間の指摘を正面で受け止められない子はいい選手にはなれません。

 以上、今までの長い経験から言えることを申し上げました。それでは転じて、成功する子はどんな子か。

 まず私が思うのは「志」です。大きな志を持つということ、「夢」でもいいと思う。
 私は70歳を過ぎているけど夢を持っています。その夢に挑戦して生きている。こんなことを自分で言うのもなんですが、いま『大学』という中国の古典を毎朝、声に出して読んでいる。一日も欠かさず続けて、先日2000日を超えました。
 これは私が静学の監督を止めて、中学生などの育成に当たることになった時に、私の夢として、『大学』を一万回読もうと決心したんです。毎朝、起きて40分くらいで読む。一年が365日でだいたい三年で1000回、ブラジル行こうが、北海道行こうが、どこ旅しようが必ずそれを欠かさずやる。これは夢を捨てないために心に決めた志なんです。決めた志を変えないってことが大事で、子どもたちに言いたいことは夢であり、大きな志を持ちなさいということです。

 次に大切なのは、夢に向かって「情熱を燃やす」ことです。
 「熱くなれ」ってこと、熱くない奴はダメです。心が冷えてる奴、体が冷えてる奴はダメですね。熱くなって燃えなければいけません。
 これは、サッカーだろうが勉強だろうが同じです。家庭もそうですよ、お父さん、お母さん。夫婦は熱く燃えているべきなんです。冷たい夫婦はダメなんだよ(笑)。
 「志(大きな夢)」の次に「努力」が大切です。自分の志に対して燃えたら努力する。他人より努力する。人の二倍、三倍励むことです。カズ(三浦知良)は47歳になったが、いまだに力を尽くそうとするあの姿勢を崩さない。
 「なんで努力するんだ?」と問われれば、「人生、努力する価値があるから」と答えています。すごいことです。例えば長友に会いにイタリアに行く時も、ちゃんと栄養士とマッサージ師を連れて行く。そういう犠牲を払って行動しているんです。
 成功した先輩たちはみんな、努力を尽くすために、見たいテレビも我慢し、無駄に時間を費やす携帯を手放してまでサッカーに賭ける人たちでした。自分の夢のため、好きな物さえ絶って努力をする、そういう人生を選択したんです。

 最後として恩を忘れるなということ。
 お世話になったお父さん、お母さん「ありがとうございます」「学校の先生ありがとう」「コーチありがとう」。このように恩を忘れないことがすごく大事になります。
 以上挙げた三つを忘れない人は大丈夫、成功できます。
 現在の100名以上の中から登録メンバーになる25人、そしてレギュラーが11人。当然、全員がなれるわけじゃありません。半端じゃ無理です。
 多くの子が、レギュラーになれないことを経験することになります。でも、今なれなかったら成功じゃない、というのも違います。
 高い塔を建てるためには、確固とした土台が必要です。無駄なものも、無駄な努力もありません。ましてや無駄な人間など一人もいません。
 試合に出られなかったり、レギュラーメンバーに入れなかったって、努力を続けることで、必ず何かが拓ひらけるはずです。必ず良いことが身に付き、良いことがあるはずです。天の神さんは人の努力を見ています。「地道にコツコツ努力する人間はどこかにいないかな」って。そんな人に、いつか突然にスルスルって天の神様から糸が伸びてくる。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように。
それを信じて、一緒に進みましょう。
 

とあるブログから

 投稿者:  投稿日:2018年 6月18日(月)19時02分49秒
返信・引用
  母の愛
IDA SOCCER NIGHT SCIENCE 父と母の役割

 母の愛情ほど尊いものはない。絶望の時も、世界中が自分を見捨てた時も、じっと自分を見ているやさしい愛。命を賭しても子どもを守ろうとする最も動物的でさえある愛。こんなありがたいものはありません。私たち一人ひとりは、このような愛に支えられて大人になったのです。
 だが、この尊い愛が子の「成長」の桎梏(しっこく)になる時もある。子どもが大人になるべく挑戦をしている時は、愛の表現方法も変えねばならない。その尊い愛が堕落の凶器にもなるからです。そんな事例を、私は何度か見せられてきました。
 練習が厳しいほど、少しでも愛する子に休息を与えたい。そう願う思いが、選手として、大人として当然の仕事を奪う。
例えば、汗を流した物の洗濯や手入れ。
例えば、自分で起きるという必須のこと。
例えば、自分の食器を洗い元の場所に置くこと。
例えば、自分の生活空間にかかわる場所の掃除。
 ここまでは、戦う選手になる前の、挑戦者としての心構えの話です。「大人になる彼らを育てる」ことに視点をすえれば、結果を正しく導くことは難しくないはず。
 わが子の苦労を軽減させようと肩代わりすれば、逆に彼らの心を成長不全にしてしまう。目標に向かって子どもが変わる時期には、愛の形も変えなければならない。
 人はギリギリの苦労を通してのみ成長します。例えば自分の夢のために、本物は口だけではなく、だれよりも全精力を傾けてサッカーに向き合うこと。それを自分で判断し、早く寝て、栄養をとり、頭が腐るほど考え、自分を奮い立たせること。
 それには人としての自分の意思が幼稚な自分を駆逐する以外にありません。親離れとは「自分のために自分が選んだ夢」に向かって、人としての責任を自覚することなのです。
 朝、まだ親に起こされている人間が、果たしてまともな選手、まともな人間になれるのかどうか、言うまでもありません。
 動物には巣立ちがある。子ども時代が最も長く与えられた人間には、成長段階に合わせた賢明な子育てが求められます。
 青年の未来を憂うのは、親の行為が彼らを正しく導けない時です。例えば、起こしてもらえなかったからと「起こしていただいている親」を怒る、車に乗っても、車に乗せていただき夢に協力してくれている母への感謝の言葉もなく、社長付き運転手のように扱う。ご飯のときも「栄養のバランスがとれて自分の好みのものが出てきて当然」、汚れて帰って来た寒き夜は「風呂はいつでも湧いていて真っ先に入って当然」、ストレス発散したい時は「遊ぶ金も必要な時に嘘言ってでももらうのが当然」、稼ぎもないのに「ブランド物の財布や高価な携帯など、他人が持っているから自分が持っても当然」、「親から送られてきた高価な食糧が部屋の外に捨ててある」、そんな部屋には「人さまの部屋なのに壁に穴あけても心が痛まない」といった勘違いした挑戦者がいることです。
 こういう光景を見たことがあります。一流選手が捻挫して家に帰り「悪いけど母さんポリ袋あるかな」と言って氷を板状にしてアイシングをする。その隣の家では三流選手が「捻挫したから早くコールドスプレーを買ってこいよ」と母親に命令する。それは見事なコントラストでした。その後の彼らは想像する通りでした。彼らはみな本来、前者になるべきです。
 言えばすぐ要求された通りの豪華なスパイクを買い与える親と、親に感謝して丁寧にスパイクを使う選手の対比もよくある話です。
 愛情の桎梏は「他の親よりもっと深い愛情」で「わが子の苦労を軽くしたい」という思いが、彼ら挑戦者の成長に不可欠な「苦労」をも取り払い、常識知らずの幼稚な大人にしてしまうこと、社会に適用できない人間にしてしまうことにあります。
 誰のために今自分は努力するのか、要はそのことを彼らが自覚できているか、そのことに目覚めているのかが大きな差を生むのです。親子で手取りあって努力するという名目で、親の思いと努力が前面に出るのは小学生年代で終了していなければなりません。
 ここで父性が力を発揮することになります。挑戦者になれと子どもに説教できるためにも、父は正義でなければいけません。
 妻に尊敬されない親父が子どもの心に響く話などできません。幼稚な子どもと母親みたいな父親の会話は「ヘンテコ」に決まってます。だからこそ父親は尊敬に値する生き方をしないといけない。子に目標にされないと価値がない。これが父親独自の仕事のはずです。本当はここが一番大切なのだが、それはまた違う機会に書くことにします。
 「自覚して行動する」。これが育成年代の選手を成長させる「キーワード」です。特に高校時の集団生活は、まさにそこを培い、大人になるために欠かせないものを与えてくれるのです。
 子どもが私のすべてだという母の愛情が、その本意である「スポーツを通じ、自分の子どもが自分を越えて尊敬される大人へとなる」その力となるには、そこから一歩引いた、賢い愛情表現と彼の将来を見据えた思慮深さがなにより求められます。
 ただし、男の成長過程には、男の性が持つ独特なものがあります。母親自身は実感や想像すらもできないことを、賢い母はまた熟知しておく必要があります。ここは大切なところです。母はなかなか父にはなれない。父が母になれないのと同様に。
 一言で言えば「変な愛情を与えるより、突き放すのが一番」ということです。
 

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